T1ルート中
融解後の塔の雰囲気好きだなぁという話

 融解後の塔はすっかり色が抜け、床を踏みしめれば足元から細かな粒子が舞い上がる。粒子はよくよく見れば小さな0と1で出来ていた。今にも崩れそうな壁、カビに埋もれたオブジェクト、うごめく電光色の何か。たださらさらと粒子の流れる音だけが耳のそばを過ぎていく。雨に痛むことも少なくなった古い傷がわずかに軋むような気がして、鉄パイプをもう一度握り直した。

 ここは穏やかな諦念に満ちている。憎むことにも悲しむことにも疲れ果てた頃に訪れるこの諦念を、ナナシは知っていた。もしかしたら、ここに収集されるようなHANOIであれば誰しも覚えがあるのかもしれない。

 時折、足音に反応したエネミーが床面から湧き上がるが、手に持った鉄パイプで殴りつければいともあっけなく解けて崩れていった。敵意はおろか、何らかの意思があるようにも感じられない。そう作られたからそうしているのだ。「したい」か「したくない」か、何のためなのか、理由も目的も彼らにはもう必要のないことだった。もう何にも惑わされず、ただ現れては失せていくだけの0と1は哀れだ。哀れで、羨ましい。

「ナナシ?」

 床を見つめながら歩くナナシの様子に気付いたコーラルが声をかけた。

「ごめんね、付き合わせちゃって……。そろそろ戻ろうか?」
「いえ大丈夫です、アンタこそ疲れてないんですか」
「大丈夫! ちゃんとご飯作ってもらったしね」

 そう言ってぐっとこぶしを固めてみせるコーラルの顔色は、決して悪いものには見えない。ログアウトが出来ない状況が続いているにも関わらず、データで出来た肌色がくすむことは無かった。
人の身体がそうながく保たないこともナナシは知っている。それは本人もよく分かっているだろうに、まるでシューニャの元へ向かうのを先延ばしにするように融解後の塔に向かっていたのだった。

* * *

 塔にはかつて何かだった融解物が大人しく並び、やがて訪れるおわりを静かに待っていた。電子音とも人の声ともつかない音がささやかに響いては消える。めぼしいものなど何もなさそうな残滓ばかりのこの場所で、コーラルはひとつひとつに触れては話しかけて歩きまわる。何かを探すように。何かを確認するように。

 おそらく自分は、あちら側なのだ。
 コーラルの後ろ姿に付き添いながらナナシは思っていた。
自分の手にあるもので、本当に自分のものだと言い切れるものなどごくごく僅かでしかない。勝手に持たされたものの方がはるかに多く、持たされなかったものはさらに多い。その僅かな「自分のもの」だって、抱えていくのはひどく困難だった。
 持つことも持たないことも選べないのならいっそ、「何か」や「誰か」に任せて優しく取り上げられるのをどこかで望んでいなかっただろうか。どうせ自分のものではないのだと。だから悲しむのはお門違いも良いところだと、諦められたらどれだけ楽か。

「ナナシ、そろそろ帰ろうか」

 コーラルがEXITを取り出す。
 これだけなら持ち帰っても許されるだろうか。帰るのか、またあそこに。貰ったこれすらも、いつか疎ましく憎むことにならないだろうか。

「……はやく終わらせないといけないね」

 ぽつりとつぶやいたコーラルの声は、誰に伝えるためのものでもなく静かに塔の中に吸い込まれていった。
 はやく、が出来るだけ遠ければ良い。
 いつか、はもっと遠ければ良い。