T1ルート後 はじめてのワクチンの話

「メリーティカ、解熱剤って飲ませる方がいいのかな」
「袋に説明が書いてあるわ」
「あ、ありがとう……えーと……」
「大丈夫よクレヨン、今だけだから」

 どこか遠くから聞こえる声と歩き回る気配、ごうごうと耳元に聞こえるのは自分の冷却装置の振動だ。瞼を閉じれば白いもやが幾何学模様を描き、うすく目をあければサイズ感を見失った部屋の中で、水色と緑色と茶色が忙しなく動き回っていた。
 緑色が時々大きくなり、俺を覗き込んでいるのが分かる。額に冷たいものをあてると、俺の手をぎゅうと握った。

 数回に分けていた大掛かりなメンテナンスが終了して動作も馴染み、やっと仕事に集中できると思った矢先に次はワクチンだと車に詰め込まれたのが昨日の昼。施設長はやたら優しかったし、クレヨンとティカは目で応援を寄越してきた。やめろ犬猫じゃねえんだぞ。
 そして「副反応が出るかもしれませんが」と言っていた技師の言葉通り、俺は晩に発熱し寝込んでいた。

 発熱自体は経験がある。主に内部装置の疲労で冷却が回りきらなくなった状態だ。数カ所切って放置するか、外部から冷やしてやり過ごせばどうとでもなった。─という対処をしようとしたところで、3人がかりで止められてベッドに押し込められた。メンテナンスで総取替えになった身体は現金で、休めると知った途端に大仰に熱をあげはじめた。節々は痛むし、空間認識もバグってる。ああ、嫌だなと思う。冷却装置の振動に混じって、ここには無いはずの声が聞こえる。脈絡のないただの怒鳴り声だ。こればかりは新しい部品にしたところで簡単に消えるものでもないらしい。

 「殺してやる」は聞き慣れていたし「死ね」も日常茶飯事だった。いただきますよりも身近にあった単語だ。「殺してくれ」を聞いたこともあれば、「殺さないでくれ」を聞いたこともある。ただ、「死にたい」だけは不思議と自分からは遠いものだった。生死はどれも人間様のものであって、多分、そんな選択肢があることすら知らなかったのだ。

「大丈夫? つらそうだね……」

 けれど今はそれが手元にあるような気がした。規則正しく甲をたたいている温かい手。軽く握れば握り返される感触。止まるなら今が良い。これが「死にたい」ってやつなんだろうか。

「しにたいですね……」
「そんなに!? だ、だめだよしっかりして!」

 前後を飛ばしたのでただの物騒な宣言になってしまったが、特に訂正せずそのままにする。

「さっき電話してみたんだけどね、明日には良くなるだろうって技師さんも言ってたから……」

 ぼんやりとした茶色のシルエットの向こうで、水色と緑色も揺れていた。まるでのんきなピクニックのような色だ。
 良いから仕事をしてこいよ、と頭では思うのに指先が握っている手を離さない。止まるなら今が良いと頭が言いながら、明日はもっと良くなるからと指先が言う。ごうごうと鳴っていた怒鳴り声はいつの間にか鳴りを潜めていた。